母からの贈り物
最近仕事の方が忙しかったので、気分転換に家の中の整理をしました。
ずっとしまい込んでいてほこりをかぶった箱を開けてみると、以前住んでいた家の居間に飾っていた写真や絵本や手紙色々懐かしいものが次々に出てきました。
その中で、結婚した年に母が書いて送ってくれた色紙も出てきました。表は誰もが知る相田さんの言葉ですが、裏に母からのメッセージが書かれていました。
当時彼はカメラマンをしていましたが、先のことは常に迷いがあることも母はわかっていたので、当然娘のことは安定などは望めないと思っていたはずです。それでも、きっと夫婦が共にする時間は長く、大切なことはそれだけではないと思っていたような気がします。
母は当時、趣味で書道をやっていて色々賞をもらっっていましたが、自分のことはあまり思い出に浸る方ではなく、それらの勲章も断捨離してしまったようでした。
いつも「死んだらもっていけるわけでもなく」と言い、お金が大変な時もよく「生き銭を使うことにした」と冗談ぽく言って口座に入金してくれることもありました。
きっと私が実家に残してきたものも惜しげなく処分したに違いありません。
それでもいつも、節目節目でこうして前向きな言葉をくれます。
不思議と24年前に送ってくれた時よりも、とても重みを感じるのはなぜでしょうか?
毎年一人で遊びに来てくれましたがコロナで今年は無理そうです。
少しでも長生きしてくれることを祈っています。
色紙はまた早速飾りました。
高齢のスマホ
母親(81歳)の妹(75歳)からラインがきて友達になった
実際私は伯母さんとは20年も会っていなかったが、おばさんの娘とはよく話す。母とは頻繁に会っていたようだが高齢になりなかなか会えなくなったみたい 「お姉ちゃんとメールしようねって言っていたんです」って私で練習しているらしい。
いいよねがんばれ!
軽井沢のギャラリー時代
昨日このような素敵なプレゼントが届きました
ありがとうございます
もう12〜13年前になりますが、どうしても彼の世界を多くの人に発信したくて、まだ子供たちが小さい時に軽井沢でギャラリーを開いていた時がありました。
その時はショッピングモールでしたので、色々規制もあり、なんだか自分のお店のようで違うような不便さもありました。
その時まだ幼児だった次男が急病で入院した時は、都合で閉めることも許されず、夜そのまま病室に戻り一つのベッドで寝てまた朝に2時間近くかけ軽井沢に向かっていた時期もありました。
そういったことで、どうしてもバイトさんを雇わなくてはならず、数名いたのですが、ほとんどがお客さんだった方や、アートが好きな方でした。
ですから皆さん訪れてきた方の反応を細かく書き残してくれていたり、新しい作品を持っていくと、センスよく値札を制作してくれたり、私と同じように作品に感動してくれたりと、それが私の心の支えであったと思うのです。
思えば見切り発車で借金をしながら開いていたギャラリーでした。
それでも、その時に通ってくれていたお客さんが今でもたくさん来てくれています。
あの5年間は、私自身が彼の作品の魅力に自信を持たせてくれた貴重な時間だと思っています。
たくさんの人に感謝を込めて。
最近のコメント