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2013年1月

「わが母の記」を読んで

最近読んだ井上靖の”わが母の記”は考えさせられた。
昨年映画化になって話題になっていたが、映画と原作の内容が違っていたため想像していたのとはかなり違い意外だった。
ひたすら惚けてゆく母親の姿を詳細に愛情をこめて書き綴っている。
この井上靖の母親は日に日に惚けていくが、いわゆる老人介護が必要な衰え方ではなく、ただ一つ二つと静かに忘れていく。
自分が生きた時代を削ってゆくように、その時代に関わっていた人も消しゴムで消すように忘れていく。
最後は家族のこともわからないまま他人行儀に会話をして、最後の別れとなる。
私自身、自分の母親との関係についてもまた考えた。
私にとっては腹を割って話せる数少ない親友のような人でもある。
それでも、あまり会えないからあった時の老いをいつも余計に感じてしまい、別れの時を想像すると正直恐くなる時がある。
もしかしたら、昨日まで自分のことを案じてくれていた人がいきなりいなくなる喪失感や孤独感を味わうのであれば、井上靖氏の母親のように、
静かにゆっくりと惚けていってくれた方が、私にとってはいいのではないだろうか?と一瞬考えた。
それでも井上靖氏は”現在の母の姿が本当の孤独の姿というものであろうかと思った”と記してある。
優しくて強い私の母親は20年近く一人でいた。
やはりそんな母親に、本当の孤独だけを感じながら、人生の幕を閉じていくことを思うだけでもあってはならないのではないかと考え直した。
私は、人としても母親としても強くて優しい人間にはまだなれていないのだ。

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